今思い出してもよくぞ一日で登ったとの思いが強い 物事にはその時々の状況で思わぬ展開をすることがあるが これなどはまさにそれ おかげでちょっとした自慢話が出来ることになった |
・日 時 2000年9月6日〜9日
・同行者 2名
かねてから念願の槍ヶ岳への山行が近づくにつけ、最近の夜行登山の疲れがたまり体調は最悪。天候の状況を口実に何とか回避したいという思いが強まり気持ちはすっかり延期で固まる。しかし前日になりK, I君からどうしても挙行するとの連絡が入る。気持ちを切り替えたいと努力してもなかなか気が乗ってこない。首はぜんぜん廻らず最悪、しかし後へは引けず気持ちを奮い立たせて出発。現地の天候次第によっては焼岳登山と白骨温泉に切り替えて誤魔化そうかなどとの思いを抱きながら。
夕食をとり午後8時出発、横浜そごうバスセンターに9時集合。しかし何とも気分が乗らない。新宿へ10時着、無駄な迂回時間を悔やみながら23時発で上高地に向かう。睡眠薬を飲んでも途中のトイレ休憩で2度も無理やり下ろされたりして結局ほとんど睡眠をとれず定刻6時に上高地へ着く。
さすが秋までの端境期とあってか人は少ない。天気は小生の気持ちとは裏腹にかなり良い。代案を言い出す状況にあらずで、6時30分槍を目指して出発。体調は思ったより良くこれならなんとかなりそうな気がする。
徳沢で朝食をとり、たんたんと平坦で良く整備された道を行く。今日は槍沢ロッジまでの楽な行程だけに途中カモにエサをやったり、マスにおにぎりなどやったりして遊びながら登る。それでも予定より早く11時30分に槍沢ロッジに到着。いくら何でもこれでは時間を持て余すと思っていたところ、ロッジの人が3時間ぐらい頑張れば殺生ヒュッテにいけるので、明日以降の天候を考えれば今日登った方がよいとのアドバイス。このロッジは静かで風呂もあり、さらに休憩していた下山者の「ここからはかなりきついですよ」との話が多少気持ちに引っかかったが、たっぷりと時間があったため、それではと昼食をとって11時40分に出発
しかしさすが槍ヶ岳、ここからの登りはかなりきつい。最初のうちはたんたんとした沢沿いの道を登ったが、そこが切れるあたりからはるか彼方の稜線を目指しての急登となる。霧がかかったり切れたりで前方は見渡せない状態だけにあとどのくらいかかるのかの見当がつかない。K君も殺生ヒュッテがどのくらいの所にあるのかを知らない様子。小生は頂上と槍沢ロッジの中間点くらいかなと漠然と考えていただけ。K君はやはりバテはじめI君も久しぶりの登山だけにかなりきつそうな様子。当初いわれた3時間が過ぎても小屋の姿は全然見えない。それだけに霧の切れ間に小屋の姿が見えたときは思わず歓声を上げる。しかもその先に槍ヶ岳山荘らしき姿が同時に見え、これなら一気に槍の肩までいけると奮い立つ。しかし両君は殺生ヒュッテで十分と言い張る。相当バテているのが判ったが、目と鼻の先に槍ヶ岳山荘があるのに途中で妥協するのはもったいないと二人を説得。
しかし播隆上人ゆかりの坊主岩小屋あたりから、徐々に胸を中心に気分が悪くなってくる。どうやらこれが高山病らしい。考えれば睡眠不足の上に一気に3000m近い高度に登ってきただけに高山病にかかっても仕方がないのかもしれない。高山病にはそれなりの自信めいたものがあったがやはり過信は禁物。二日がかりの所を一日でこなしただけにやむを得ないかもしれない。しかし一瞬の切れ間に不意打ちに槍ヶ岳が全貌を見せたときは思わず大歓声。その感動の余韻を持って4時20分ようやく槍ヶ岳山荘へ到着、約5時間の行程だった。上高地からはなんと10時間、体調不良の中よくぞ登ったものと達成感を十二分に満喫する。
小屋はさすがにがら空き状態、しかし高山病のせいで食欲が全くなく持参した塩こぶで何とかお茶漬け一杯を流し込んだだけ。さらに夜は寒くてゾーとする寒気に思わず乾燥室に駆け込む始末。薬を飲みホカロンを腰に当て、ガラ空きの寝床にもぐり込み何とか眠りにつく。それにしても念のため持参したホカロンに大助かり。
朝4時過ぎにみんなが起き出す気配、K君に聞いてみると霧で日の出は期待できないとのことにぎりぎりまで寝ていることにする。体調はなんとかなりそうだがかなりかったるい。朝食は無理やりお茶漬け2杯を漬け物で流し込む。早出の人々は霧で展望が臨めないのを承知で出かける。今日は下山して新穂高温泉で一泊することにしたため気持ちにかなりの余裕がある。
先発組が一巡する7時頃には霧が時々切れるようになってきた。もしかしたら頂上ではそれなりの展望が期待できるかもしれないとの思いを胸に頂上を目指すことになる。見上げる岩の累々たる偉容にはさすがに緊張感が走る。しかしいざ取り付いてみるとそれほどに危険な個所はなく20分ぐらいで無事に頂上に立つ。午前7時30分感激の一瞬。
頂上はイメージとは異なり、そそり立ったような頂上ではなく思ったより広くて十畳ぐらいの平らな岩場で小さな祠と三角点があるだけ。どこにもあるようなポールなどはない山頂で少し拍子抜け。先客はわずか2名だけの静かな山頂に満足。霧が立ちこめ展望はゼロ、しかし時間的にも余裕がありまた人が少ないこと、さらに結構気温も高いことなどから、3人だけでゆっくりと霧の切れるのを待つことにする。その間、過し方の人生やこれからの生き様などに思いをはせる。すると断続的に霧が切れるようになりその都度シャッターを切るのに大わらわ。その時突然なんと太陽が現れ前方にブロッケン現象が出現、丸い虹の中に小生の姿がまるで仏様の姿さながらに映し出される。はじめての経験に思わず大歓声、今回の山行に渋っていたのをすっかり忘れ感激にひたる。小一時間くらいいて下山開始。少々神経を使ったが難なく20分ぐらいで無事下山。いろいろな思いを胸に9時15分新穂高温泉へ向けて下山開始。
天候はいつしか快晴となってくる。今頃まで山頂に居れば360度の展望が臨めたかも知れないなどとは思ってみても、二度とないかもしれないブロッケン現象を見れたことを思えば問題外のこと。登山者の姿がほとんど見られないいわば裏街道の道を行く。大喰岳を左に見てお花畑の名残りのカールを下ると樹林帯に入り、時折笠ヶ岳らしき山や北穂高への稜線の山並みなどで目の保養をしながら12時に槍平小屋に着く。
まずいラーメンで昼食をとり再び下山開始。しかしここからの下りは悪路の連続で疲れ気味の足がおぼつかない。途中ストックがすっぽりと柔らかい土の中へ刺さりバランスを崩して転倒。ストックを離さなかったため、ゆっくり前に転んだお陰でちょっとした擦りキズだけで助かる。それにしても危なかった、思い出すとゾットする。
2時30分ようやく白出沢出会へ着く。ここからは林道歩き、しかし1時間半はかかる予定のたんたんとした下りはこれまたちょっとした難物。ここでゆるめてはダメと思いかなりのスピードで歩き抜け、結局当初の予定より15分遅れの4時に新穂高温泉に到着。槍の頂上から2170mを一気に駆け下りたことになる。よくぞ頑張ったと我ながら胸を張る。懸案の右ヒザ痛はいささかの痛みもなく、これにはそれなりのトレーニングの成果を期待していたとはいえびっくり、これからも今までのトレーニングを継続しようと決める。また思い切って使用した新しいクツも踵の擦れがなくこれにもまた大いに満足する。
宿は新穂高ロープウエイ近くの村営のホテル氷碧に投宿、突貫工事さながらの山行の終わりとなる。温泉はまずまずで当初の予定では今日は山頂の小屋にいることを思えば天国。雨の降り出した露天風呂などを楽しみながら大満足の山行の回顧をさかなに乾杯。この新穂高温泉は一度は行ってみたいと思っていた奥飛騨温泉郷の最深部の温泉でもあり、これまた思わぬ拾いもの。翌日はシーズンオフのため便が悪く、10時40分発のバスで平湯で乗り継ぎなどしながら、松本発13時50分発の特急あずさで帰路につく。帰宅午後5時。あらゆる点で意義のある登山であった。