風雨の立山縦走

   劔岳の予定が雨のため断念 その代わりにと立山縦走に挑戦したが とんでもない風雨のなかの山行となる 
  8名のパーティだけになんとかなるさという甘えがあったかもしれない   しかし結果的には思い出に残る縦走となった
 
1999年7月20日〜22日)2泊3日
同行者 6名

 今年最大の目標だった劔岳の日がやってきた。天候はなんとかなりそうな感じで勇躍(内心は少し不安を持ちながら)出発。全員予定通り集合、夏休みに入ったばかりということもありすこぶる順調に黒部湖まで。ところがここで霧雨、やむなくレインコートを着用する。しかし室堂直前には晴れ間も、喜んだものの着いてみればやはり雨。ベンチで雨と風にさらされながらわびしく昼食をとり、1時40分にスタート。

 地獄谷を経由して雷鳥沢へ、そこから2時間ぐらいの急登。ここで意外にも健脚と思われた二人がバテ気味。雨はたいしたことはないがレインコートを着ているだけに暑いことこのうえなし。ようやく劔御前小屋に着く、雨は止まず。ここからは1時間ばかりの下りになるが、小屋の人から「雪渓が危険、もし足を滑らせたら長野まで行ってしまう」と脅かされる。確かに5カ所ぐらいの雪渓はかなり滑りやすく全員緊張の連続、それだけに小屋がみえたときにはほっと一息、小屋を見ながらしばらく歓談、しかも雨が上がり霧の切れ間に劔岳がわずかに姿を見せる。 明日の期待にはやりながら小屋に5時30分に到着。先着の人に今なら風呂に間に合うよ、といわれ風呂があるとは全く知らなかったためにびっくり、喜び勇んで風呂に飛び込む。

 部屋は8畳に6人とまずまず、食事は山小屋特有のカツ中心のメニュー、明日を考えずアルコールをかなりこなす。しかし明日の天気予報は雨のご託宣、この段階で全員が何となく心中に感じていた劔岳への不安感が強まり、劔はあきらめ立山縦走に傾く。8時には睡眠薬を飲んで寝る。
 
 朝はやはりかなりの雨、誰一人登る人はいない。部屋の掃除の間、小屋の主人の一時間ほどの四方山話に全員で30人ほどがつきあう。その中で富山の薬売りの発端が立山の山岳信仰にあることが興味を引いた。雨は止みそうになく仕方なく完全武装で立山縦走に踏み切る。

 劔御前小屋までは雪渓を踏み越えて1時間そこそこで到着。いよいよ縦走コースに入る。別山までは登りで後は尾根づたいと考えていたがかなり強い雨風のなかでは事情が違う。途中で道を間違えるやら行程の判断もいい加減やらでかなり厳しい山行となる。振り返ってみれば別山から富士の折立までは、富士の折立から雄山までの距離の3倍くらいはありこれをかなり甘く考えていた。

 それにしても雨、風、霧の中、吹き飛ばされないように神経を使いながらまた強風のため片手でフードを引っ張りほとんどみえないメガネをカバーしながらの山行ははじめての経験。途中念願の雷鳥が何回も間近にあらわれたのが唯一の慰め。そんななか時折雄山からの縦走者に出会い、自分のことは棚に上げよくもまあこんな日にと感心する。

 さすがにみんなかなりバテ気味、とくに一人がかなり消耗している様子に不安が横切る。2時頃ようやく大汝山の小屋へ到着。「みどりのタヌキ」を食べようやく一息。全員が手が冷たくストーブで暖める。後日テレビで放映していたが典型的な「低体温症」の初期の症状とか。このまま後何時間か歩いていれば遭難の危険性もかなりあったかもしれない。当初の予定は劔岳を往復した後この立山を縦走する予定だっただけに、いかに無謀な計画だったか大いに反省。まあ全員が無事だっことがなにより。劔岳に挑戦出来なかったことは山の神様のお計らいと信じよう。

 大汝から雄山へは30分くらいで到着。雨、風のなかを
3003mの雄山神社に参拝。社殿の中でお祓いを受け下山。ここからは以前に経験したコースだけに何の不安もなく一気に下る。みんなすっかり元気を取り戻し全員無事に室堂に。このころになって雨が上がりなんと霧の切れ間に縦走してきた立山が一望でき何とも複雑な気持ち。全員がどんなところをどのようにしてどのくらい歩いたか、全然知らなくてきただけに妙な感激を味わう。

 雷鳥荘へは4時30分ころ到着。リュックの中のものまで水を含み、靴の中はグチョグチョ、乾燥室を連日利用するハメとなる。温泉にゆっくり入ってビールで乾杯。ざっと8時間、よくもまああれだけの悪天候の中を歩いたもの。しかしトレーニングのお陰か持病のヒザの痛みがほとんどなく歩けたことがなんといっても最大の収穫。もうサポーターのお世話にならなくてすみそう。夜は雷雨、朝は止んだが霧で展望なし、室堂19時発で帰路に就く。室堂からは好天気となり黒部ダムなどを楽しみながら松本へ。しかし大月あたりの豪雨で間引き運転で車内はかなり混雑したがなんとか6時30分無事帰宅。