般若心経へのチャレンジ

以前から般若心経を覚えたいと思いながらチャレンジの機会が持てなかったが 阿波踊りを契機に実現 般若心経を暗唱できるようになり世界が一つ 広がった感じがする
  永年の念願の四国88ヵ所のお遍路も一気呵成に経験
  その間の事情を随筆風にまとめてみた

     随筆
 妻に曳かれてにわか巡礼        門前の小僧が突如はまった般若心経

 今年は猛暑、地球がいよいよ狂ってきたかのようだったが、それにつられたかのように、小生も突然般若心経にとり憑かれた様な気がする。
 事の起こりは阿波踊りである。現役時代からのお付き合いのある某氏から、毎年のように阿波踊りに誘われていたが、今年は思い切って誘いに乗ったのがきっかけ 小生も馬齢を重ねてはや六十八歳、あと二年で古希、いつなんどき事が起きてもおかしくはない歳となる。

そこで昨年あたりから、かねてからの懸案事項を少しずつ解決することにした その手始めに永年気になっていた、遠くカルフォルニヤにある義母の墓参りを昨年十月に済ませた。次元は異なるがこの阿波踊りもその懸案事項の一つである。たまたま先日亡くなった家内の姉の納骨が八月十七日となったこともあり、事のついでにといっては不謹慎だが、家内の実家の墓参りもかねて日程を組み八月十三日に出発する。
 出発前に徳島での三日間の昼間の時間をどうするかを考えたが、候補にあがったのがありきたりの定番の鳴門の渦潮と某氏ご推薦の大塚美術館だったが、以前から信心深い?家内が行きたがっていた八十八ヵ所のいくつかをまわってみるのもいいかな、とふと思いつく。そこで柄にもなくインターネットで調べてみるとビックリする様な情報がずらり。とても読み切れないので、現地で聞いみるつもりで三社ばかりタクシーの電話番号をメモする。
しかしせっかちな性格のため出発当日家を出る十分前に、念のためと思って目についたNタクシーの電話番号をダイヤル。応対に出た主人とおぼしき人と「五時間くらいでどのくらいのお寺を回れるか」などとやり取り。すぐに切るつもりだったが、先方は丁度仕事の予約が入っていなかったらしく、かなり粘られその上宿泊所まで聞かれ、結局一万五千円で予約する羽目になる。そのやり取りを聞いていた家内はあわただしく巡礼用の法被と袈裟をバックに詰め込んだ。
 かくしてなんだか気持ちの整理が出来ないまま新幹線に乗る。新神戸で下車、タクシーで家内の実家のお墓に急行、久しぶりの墓参を済ませ、トンボ帰りで新神戸へ。そこから徳島行きのJRのバスに乗る。空いていれば二時間もかからないとのこと。はじめての鳴門大橋を渡りあっという間に徳島へ、さすがにそこからは阿波踊りで渋滞、結局四時間くらいかかってようやく徳島へ着き某氏の出迎えを受ける。
 某氏は十一日からの徳島入りで昨日はかなり踊っていて相当お疲れの模様。最初の予定では十三日と十五日は見物で、十四日は某氏のお世話でご町内の連に入れてもらう約束だったが、早速に今日からやりましょうとの強いお誘いにとまどう。しかしとてもいきなりでは自信がないのでつつしんでご辞退する。お祭りは六時からだが既に街はお祭りムード一色に包まれ、予想ではこの一週間で百五十万人くらいの人出が見込まれるとのこと。結局阿波踊りに関しては、十三日は某氏に連れられて、翌日参加する眉月連(まゆづきれん)の責任者にご挨拶し、あとは一番大きい藍場の桟敷席で見物。翌十四日は借りた法被、帯、鉢巻き、うちわに身を飾り、意を決して連に参加、旅の恥は掻き捨てよろしく、二時間ばかり踊らせて頂いた。十五日もと誘われたが当初の予定通り見物にとどめた。それにしても阿波踊りの盛り上がりようは尋常ではないものすごさで、言葉ではとうてい表現できず、まさに百聞は一見に如かずである。
 話を本題にもどして、思いがけなくお参りすることになった徳島県内のお寺だが、家内ははじめてだが、小生は以前仕事の関係で徳島に来たときに、一番札所の霊山寺にお参りしたことはあるがそれ以外は全くなし。約束通り九時にNタクシーが迎えに来る。電話に出たのはやはり本人のN運転手さんだった由。
 乗るやいなや自家製の二十二ページからなる「巡礼のしおり」という小冊子を渡される。それには開経偈から始まり三帰、十善戒そして般若心経、光明真言などなど、お参りする時に唱えるお経がびっしりと書いてある。こちらは観光気分での諸寺参拝のつもりであったが、運転手のNさんはそうはいかないぞ、といった雰囲気で、巡礼の小道具は、やれ納経帳は、やれお賽銭は、といった調子で一番札所へ着くまでにいろいろと口うるさくいわれ、いささか参ったという感じになる。
聞いてみると彼はきちんとしかるべき講習も受けた先達の資格を持っている上に、各地からの巡礼者を毎日のように案内しているとのこと。関西方面まで出迎え最後は高野山といった十泊くらいのケースも日常茶飯事らしい。したがって霊山寺についたときは、門のくぐり方から手と口の清め方に始まり拝み方、お賽銭の入れ方、拝む順序などを事細かに指導してくれる。なるほどと納得することが多かったが、おかげでこちらの観光気分がだんだんと薄れて行く。


最初はお経を唱える気などさらさらな無かったが、彼がいつも後ろで目を光らせているため、仕方なく家内についてお唱えしている振りをすることになる。しかし家内が空で唱える般若心経を十ページにわたって大きな字で書いてある「巡礼のしおり」を見ながら、口をもぐもぐさせてついてゆくのも並大抵ではない。とにかくまともにすっと読めないうえに、家内の唱え方は年季が入っているだけに結構早く、気がついたらずっと先にいっていることもしばしば。なんで阿波踊りがこんな事になったのか、家内は急遽用意したのが幸いして、それなりの格好がついているがこちらはポロシャツ姿、こんなハズではなかったのにと思っても後の祭り。
そんなこともしらず前から渇望していた家内はすっかりのめり込み調子に乗り、明日も廻りたいような素振り口振り。八番札所にお参りする頃にはもうなるようになれの気分。結局徳島一県参りをする羽目になり、明日もたまたま空いていたNさんにお願いすることになる。なんでこんな時に予約が入っていないのかと恨んでみても仕方がない。しかし小生にとっても徳島は父の出身地だけに、ご先祖様の菩提を弔う気持ちもあったことは事実。かくして十四日は翌日の行程の関係から焼山寺、大日寺、常楽寺の三寺をとばして十七番の井戸寺までの十四寺のお参りを済ませることになった。
 翌日の十五日は朝七時半からのスタートで六時半までの長時間をかけて残りの九寺をお参りする。料金も跳ね上がって二万五千円也。こうなれば少しは格好をつけようとNさんにお願いして法被だけは用意してもらう。ポロシャツの上に法被という珍妙な出で立ちだが仕方がない。この日もNさんの監視は依然として厳しく気が抜けない。しかし門前の小僧よろしくで、だんだんと慣れてきて最後の方では家内が唱える時にとばした箇所がすぐに分かるようになり、こちらも監視役気分でのお参りとなる。こうしてハプニングに近い徳島二十三寺の一県参りが、中身はともかく表面的にはなんとか終了した。おかげで阿波踊りが中途半端になり某氏には後ろめたいところがあったが、これも振り向けたのがお寺参りだけにお許しいただくことにした。
 かくして生れてはじめて巡礼を体験したが、それにしてもいかに大勢の信者が巡礼しているかを知り正直ビックリ。八十八ヵ所を一度巡礼するだけでも大変なのに何十回いや何百回もお参りする人がいるとか。中には全部歩きの人もいるだろうに、世の中には大変な人がいるものだ、とその広さに改めて感心する。

ところでお参りする度に納める納札には種類があり、四回までは白、五回以上は青色、八回以上は赤、二十五回以上は銀、五十回以上は金、百回を超えると錦の納札を奉納するとか。そして他の人が納めた金や錦の納札をお守りとして持ち帰ることが許されているとのこと。ただしその時は納札入れの中をかき混ぜてはいけない、と最初にNさんに厳重に注意される。にもかかわらず二十二番札所の平等寺にお参りした時、ある中年の人が懸命にかき混ぜて捜しているのに出くわす。
それならばとこちらもそのすぐ後で同じ箱を思い切ってかき混ぜた。その後のぞいた家内がすぐに金色の納札を発見し大喜び。六十五歳の香川県の人が納めた札でなんと七十二回目とか。そのことをNさんに報告すると、あれだけかき混ぜてはダメといったのにと大いにしかられる。
しかし混ぜたのは小生で、発見したのは家内ということで一件落着。しかしNさん曰く、私が頼めば百回以上お参りしている方から錦の札を貰えますよ、と言う。しかしそれは趣旨が違うのではないか、お参りした人が一枚ずつ納めた札に意味があり、その人が水増しして出した札はおかしいのでは、と切り返すとさすがに返事は返ってこなかった。

 帰路の車の中はほっとした気分でこうなれば残りを全部やってしまうか、などと気楽な言葉が飛び出す。しかし今回は小生はあくまでも付き合いの巡礼、したがって納経帳も家内の分しか用意しなかった。もし全部やるとなれば二日間の分をどうするかである。聞いていたNさんが、年中行っているので後で貰ってきてあげますよ、と言ってはくれたが、それでいいのかどうか気持ちの上で釈然としない。家内は「この一冊で十分。私は他にまだあるから、納棺の時はこの納経帳を入れてあげる」と、まるでこちらが確実に先に逝くと信じているみたいにのたまわった
 
 かくして弥次喜多のような巡礼を体験したが、これが思いもしなかった般若心経にはまりこむ引き金となった。今回お参りの時に般若心経を唱えることが出来なかったことの苦痛が、負けず嫌いの性格に火をつけ、さらに残りを全部やる事になるかもしれないという思いがダメをおした。かくして帰宅した翌日の十八日から早くも般若心経への挑戦が始まった。
 まずは二百七十四文字のお経をきちんと正確に暗記することからはじめる。奇しくもこのことを予見してか数ヶ月前に何気なく般若心経のテープを購入していたが、封も切らずに枕元に置きっぱなし。法事の時などに住職に「それではご一緒にお唱え下さい」といわれる度に小さくなって、家内にすべてお任せ。その時だけは次回はなんとかしてやろうと思うのだが、結局はのど元過ぎればなんとかの繰り返しだった。しかしできれば覚えてみたいという気持ちを以前から持ち続けていた事だけは確か。気まぐれとはいえテープを買ったのもその気持ちのあらわれである。早速にこの封を切り、中にあった原稿を持ち運びできるようにコピーし常に身につけることからスタートする。
  まず全文を四分割し、一つずつこなすことにする。第一段は「最初から亦無如是 舎利子」まで、第二段は「是諸法空相から無苦集滅道」まで、第三段は「無智亦無得から知般若波蜜多故」まで、第四段は残りすべて、という四分割である。若かりし頃なら、この程度の文章なら一晩で十分にお釣りがくるくらいの自信があったが、この歳では正直いって絶望的な気分が先に立つ。
最初の四分の一に取りかかったところで、早くもなんとかやめる口実はないものかと、決意とは裏腹に情けなくも気持ちがぶれはじめる。しかし生来の負けず嫌い、物事を始めた時の集中力、そして時として我ながら呆れることもある決めたことに対するこだわり、これらがなんとか切れそうな気持ちを支えてくれた。寝る前、あさ目が覚めたとき、トイレの中、朝と夕方の風呂の中そして毎日よほどの事がないかぎり続けている一時間半の散歩、これらの時間にどっぷりと般若心経にのめり込む。
さらに内容が解らなければ何の意味もないと思い、以前家内が極楽寺で頂戴してきた蜜蔵院の名取芳彦さんが書かれた「・・・なんだそうだ、般若心経」を何度も熟読。おかげで五日間でなんとか暗唱出来るようになり、七日目では詰まりながらも二分少々で、そして十日目を迎えた本日二十七日には、うまく唱えられた時には一分三十秒くらいで、妙な節回しながらなんとかこなせるようになった。とにもかくにも僅かの時間でのにわか勉強だったが、久しぶりに味わった集中力の健在?に、まだまだやれるじゃないか、というささやかな自信を持つことが出来、これからの生活の中で資する事もあるのではと思う。

ただその過程の中で、全くの素人だけにいろいろな疑問や、その道の専門家に是非とも聞いてみたい事などが結構出てきた。それらを以下順不同で羅列してみる。
 
  その一,般若心経はある仏様が弟子の舎利子に話して聞かせる物語であるが、内容はこの世の森羅万象はいかなる法則のもとにあるか、そしてこの世をいかなる心構えで生きるべきかを教え、そしてそれらを実践してこそ、悟りの境地に達しそしてやすらけく彼岸にある極楽浄土へ行けるのだと説いている。そして最後にこれらを集約した真言としての「ぎゃーてい ぎゃーてい・・・」で締めてくくっている。したがってこれはあくまでも人間いかに生きるべきかの教えであり、少なくとも何かを供養するお経ではないと思う。
しかし小生の錯覚かもしれないが、事あるごとに般若心経が唱えられているように思われる。
八十八か所巡礼の場合は、お参りする人自身が「このような心構えで生きてゆきますのでよろしくお願い致します」ということであり、これは十分に納得出来る。しかし供養などで般若心経を唱えるのは意味が解らない。もしかしたら供養の席での般若心経には前段の文言があり「故人は生前、 般若心経の精神を理解し実践したが故に極楽浄土へお導き下さい」というのか、あるいは「残された遺族は般若心経の教えを実践しますのでよろしく」というのか、そのいずれかであろうか。あるいは門前の小僧の理解がはなから間違っているのかも。
 その二、般若心経は門前の小僧の理解では仏様に向かって、このような心構えで精進致します、といういわば宣誓である。よってきちんと理解できるように唱えるべきである。したがって意味の通じないところで区切って唱えたりするのは如何なものか。それは仏様に対して失礼ではないのか。相手が仏様だから当然 般若心経の事は解っているので細かいことはいいんだ、唱えればいいんだというような次元の話ではないように思う。
その観点からいえば家内が唱える豊山派の区切り方は門前の小僧にはどうしても納得が出来ない。
とりわけ前段の「色不異空」から始まる箇所は確かに唱えるには語呂はいいと思うが意味が全然通じない。名取先生も「それは読み癖で致し方なし」と言ってはおられるのだが、いかなるものであれ時代と共に変化させてもいいのでは、と門前の小僧は思う。それにしても意味を理解してから暗記しただけに区切りが全く違う門前の小僧にとっては、これから家内と一緒に残りのお寺を廻り、共に般若心経をお唱えする時にはどうしようかと悩むところである。           
 その三、今回のにわか勉強で門前の小僧がすぐに理解できるほど般若心経は底が浅いものではないと思うが、般若心経にうたわれていないもので気になることは、人間はこの世に何故生れてきたのかということである。この答えは般若心経以外に三千二百もの教典があるそうで、その中に教示されているのかもしれないが、少なくともこの般若心経からは読みとれない。いかなる心構えでこの世を生きるべきかを教えてはくれるが、いかに働きいかに子孫を残して行くべきかについては一切ふれていない。
「この世はあくまでも苦と煩悩に充ちた世界で、悟りの境地、極楽浄土は彼岸にあり、しかも彼岸はすべてが極楽浄土ではなく、その中にある極楽浄土に行けるには、この苦と煩悩に充ちた世界で般若心経の精神をもって切磋琢磨しなければならない」と教えているだけと理解するのだが。あるいはまだまだ門前の小僧の理解が足りないのだろうか。
しかしこの世に生れた命あるもの全て、動物、植物そして微生物に至るまで、生きとし生けるものすべからく、子孫をいかに次の世に残して行くかが、絶対的な至上命題であるということには間違いはないと思う。だとすれば人間が「この世に生き、働き、稼ぎそして家族を養い、生活し子孫を残す」という行動に対して何らかの教示があってしかるべきと思うのは間違いだろうか。そんなことはあたり前のことで、人間のそういう行動を前提に精神面の心構えを説いているのだ、と言われればそれまでのことだが。
 その四、文言に関することだが、
 まず「不生不滅 不垢不浄 不増不減」のフレーズだが、何故「垢」が「浄」より先にくるのだろうか。「生と滅」「増と減」との関係から言えば「不浄不垢」となる。「生、浄、増」はプラス思考で「滅、垢、減」はマイナス思考の言葉であり
「不生不滅 不浄不垢 不増不減」が自然体であると思うのだが
 次ぎに、その三と少し関係するが、文中にある
「無智亦無得」と「以無所得故」がよく理解できない。(他が良く理解できたということではけっしてないが)
まず「無智亦無得」はそれまでの文章の構成からいって「無智亦無智得」として「智」を入れてさらに「無苦集滅道」の前に持ってきてもいいのでは、「無無明」から始まる構成からもみてもその方が解りやすいと思うのだが。もちろん門前の小僧などが読みとれない意味があってのこととは思うのだが・・・。
そしてなによりも理解できないのは「得」の意味である。名取先生の説明だと
「智」を得ることとある。それならばそれまでの文章の流れからいって「智得」としたほうが解りやすい。そうでないと門前の小僧は「得」が物資的なものを指していると理解してしまう。そうなれば般若心経全体の解釈が根底から覆ってしまうことになる。
 次の「以無所得故」もやっかいである。名取先生もこの文言はない方が良い、そして法隆寺にある梵語の般若心経には削除されていると書かれている。これが前の文言につながるのか後の文言につながるか、どちらともとれるが、もし前文の「無智亦無得」のだめ押しに書かれたとすれば、先ほどの「得」の解釈がややこしくなる。「智得」を省略して「得」としたのならば理解できるが、そうでないなら「所得」の意味する「得」は、それまでに述べられている全てを受けているということになる。それだけに「無智亦無得」の 「無得」 はどういう事なのか門前の小僧の理解を超える。
これがその四で記した人間の働きや稼ぎに対する示唆であるならば話は別だが。またそうであるならば、それはそうでまたまたややこしくなってしまう。いずれにしても門前の小僧などの考えうる次元の問題ではない。 
  その五、これは冒頭に持ってくるべき疑問だが、般若心経の教えるところはそれなりに理解は出来るが、さればどうすればいいのかということである。文中には観自在菩薩も菩提薩捶も三世諸仏もそれぞれに般若波羅蜜多の行で悟りの境地に達したとされている。しかしそれがいかなる行なのか全然解らない。
それは座禅なのか念仏を唱えることなのか滝に打たれることなのか、はたまた山岳修行なのかあるいは断食して無我の境地に入ることなのか、せめてその形なり方法なりを知りたいと思う。
しかしかりに解ったとしても仏様が懸命に努力される行を我々衆生が出来るわけもないことだが・・・。つまるところ我々衆生は、最後の真言「ぎゃーてい ぎゃーてい・・・・・・ぼうじそわか」をやみくもに信じて唱えることが最善の道かもしれないと、門前の小僧は思うのだが。
  その六、今回真剣に般若心経に向かい合ったときの第一印象はなんと読みにくくかつ解りにくいんだ 、ということであった。聞くところによるとインドの古代仏教のお経を中国で翻訳したもので、その際可能なところは漢字に転換し、出来ないところは梵語とやらを音写しこれが日本に持ち込まれたものだとのこと。しかしながら門前の小僧にはどれが意訳したものでどれが音写したものかさっぱり解らない。
 そこで疑問だが、まず日本では中国から伝来した 般若心経は日本人向けには全く修正されなかったのだろうか、修正されたとすればどの部分なのか。また今日のインド、中国では 般若心経がどのような位置づけでどのように扱われているのだろうか、ぜひ知りたいものだ。
 そしてなによりも「ぎゃーてい ぎゃーてい・・・」の真言の部分並びに各寺の仏様の真言の意味を知りたいと思う。「ぎゃーてい・・・」は「往けるもの」との意味らしいがどうもピントこない。名取り先生曰く「真言は訳すべからず、ただ信ずるのみ」とのことだが・・・。しかしお唱えする時は、そのままの発音でやるとしても意味を知っていなくては、なんといっても気持ちが入らなくて御利益も無いのでは、と門前の小僧は思うのだが、それは見当違いの事であろうか。 
        
  最後にもう一つ、今回お参りしたお寺だけではないが、いずれも「○○山」とあるの
はいかなる由来によるものなのか。先達のNさんも解らないとの返事であった。
 
  以上、突然ものの怪に取り憑かれたような十日間だったが、またとない貴重な経験が出来た。般若心経を覚えるということもかねてからの懸案事項の一つであり、しかもこれはかなり難しいなと思っていただけに、なんとか曲がりなりにでもメドがたったということは無上の喜びである。またなによりも久しぶりに味わった集中力が、まだまだ残っていたということが確認できたことも大きな収穫であった。これからは折角覚えた般若心経を、如何に自分なりに納得出来るようにお唱えできるかを、追求してゆきたいと思っている。               

平成十六年八月二十七日記す